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「いつかはアイアンマン」を密かに目指して、ちょこっと頑張る姿を家族が見守ってくれています。
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美しい村人
震災関連番組で特に興味深く見せてもらったものがあります。
3月9日にNHKで放送されたふたつのシンポジウム番組です。

「新世代が解く!日本のジレンマ」の「僕らの『復興論』」

シンポジウム「復興にとって大切なこと」

「僕らの『復興論』」は、70年以降に生まれた新世代といわれるの論客3人が、オーディエンスを交えて、今復興に問われていることを熱く語ってくれていました。

パネラーの3人は、開沼博さん(社会学者)、藤沢烈さん(復興コーディネーター)、河村和徳(政治学者)で、いずれも被災した現地で調査やコンサルタント、行政への提言など活動をされている方たちです。

彼らが現場で悩み考えていることとして、「スピードのジレンマ」と「当事者性」とうキーワードが示されていました。
5年間の予算として計上された19兆円の復興費が2年間でほとんど使いきられてしましました。
それでもまだまだ事業化が遅れていると、指摘する声かあり、その反対に、行政の専断的な事業化に戸惑う声があるのだそうです。

平常時には熟議が必要なことも、非常時には即決するための多数決もやむなし、の考えがありました。
現地ではまだまだ平常時ではありませんが、十分な議論がなされないままの多数決や行政の一方的な政策に抵抗感が生まれているようです。

生活環境の違いや、被害の違いなどからもたられる考えの違いをどう集約していくかが問われています。
高台に町ごと移転するのかどうかの問題も、もとの場所にしがみついて生きてゆきたいという人の気持ちをどうするのかで止まってしまいます。

もとの町を復旧し、なおかつ高台にもう一つ町を作るのは不可能です。
(できれば、いいのでしょうが)
しがみつことする人を、無理矢理引き剥がすようなことをしていいのか、拒否権はないのか?
代表性が失われている土壌では難しい問題です。

こうした大きな問題以外にも、現地では時間と共に解決を要する課題が次々と生まれているそうです。

仮設住宅においても、コミュニティが再建できずに悩まれる方が大勢おられます。
阪神・淡路で問題になった後も、災害の度に起きる問題です。

「当事者性」についていえば、去年年末のあった総選挙でも、初めは復興が争点となるはずだったのが、いつの間にか「将来のエネルギー政策」にすり替わってしまったことが指摘されていました。

東方が日本という体の大切な部分であり、自分たちの身の上に起きていることだという意識が薄いです。

あまり大雑把に言い過ぎるのはよくないかもしれませんが、現在震災後に起きている問題は、日本が抱えてきた問題であり、それがはっきりと目に見えるかたちで露呈したといえるのでは。

国民同士のつながり意識の希薄さ、住民同士の意思疎通の困難さ、行政との信頼関係のなさ、・・・・

東北の復興は、テレビの画面が映し出す壊れたモノの復興ではなく、社会であったり人の心であると考えるべきでは。
たぶん、これらは現地で生活しなければ分からないものでしょうね。

そしてこれら復興に問われているものは、震災前から私たちの中で共通に壊れていたものであるのかもしれません。
ですから、被災地の復興は日本の復興であり、私自身と深く関わっている問題だと思っています。

「被災地から遠く離れた広島にいて何をのんきなことを」と怒られるかもしれませんが、これが私の答えであり、20年~30年の長い戦いを覚悟しているつもりです。

シンポジウム「復興にとって大切なこと」では、生活・産業・生業(なりわい)・人間そのもの・コミュニティの復興について議論されていました。

パネラーは、結城登美雄さん(民俗研究家)、蓜島一匡さん(共生地域創造財団、事務局)、金子勝さん(慶応大)、辻一郎さん(東北大医学部)、中村順子さん(コミュニティ・サポートセンター神戸 理事長)でした。

蓜島さんからは、石巻の折浜地区でボランティアの協力のもと牡蠣漁が再開したという報告がありました。
生協という大きな組織があったことが大きいのですが、牡蠣を流通・販売していくシステムを作り上げることで、生業が復活し、小さいながらも地元の人々の仕事が生まれ社会が再生されていった例です。
しかし、そこまでたどり着くのにはもの凄い葛藤があったのだと思います。

金子さんは、岩手県の葛巻(くずまき)のクリーンエネルギーへの取組みを紹介されていました。
現在、北上山系に設置した風車で、町内の電力は全てまかなわれているのですが、そのうえに酪農とセットでバイオマス発電に取組み、また豊富な森林資源をもとに木質バイオマス、太陽光といった電力産業によって、企業を誘致し地元の雇用を拡大していこうとしているそうです。

電力の地産地消は、環境に負荷の少ないことに加え、送電のロスを減らし有効活用になります。
また、周囲の自治体と様々な発電方法に取組み補完し合うことによって、電力の安定供給も実現できます。
山間の過疎の町が、日本の未来を映すような最先端の町になっている例です。

辻さんは、震災後2年間、被災地で介護の必要な人が6割も増えたと言われていました。
人間の体の復興について提起され、集会所などで高齢者の体力づくりやコミュニティづくりに取組まれています。

中村さんからは、絆こそ復興の基礎力であると言われ、阪神淡路のボランティアが今なお形をかえて存続していることを紹介されていました。
洗濯の代行、配食サービス、地域の居場所活動、病院の送迎・・・・介護保険でまかなえないサービスの提供が続いています。

これらの神戸の例は確かに「ピンチをチャンスに」したものです。
東北の被災地においても、介護の必要な人が増え、なおかつ要介護者は都市部から遠く離れた場所にいて、既存の介護センターではこれに対応ができていません。
もう一方で、働く場を失った女性たちが大勢います。
彼女たちに資格をとってもらえれ場を設けることによって、互いのニーズがかみ合い新しい関係が生まれます。

これはひとつの例ですが、たくさんのニーズを集約し、繋いでいくシステムこと必要とされているのかもしれません。

結城さんは、“食”を中心にすえた復興を提起されていました。
現在日本の食糧自給率は39%ですが、東北5県の平均はなんと100%を越えています。
反対に、東京1%、神奈川2%、大阪1%という数字があります。

都会に住む人々は、自分たちの食が東北の農家の方々によって支えられていることを自覚し、その農家は60歳以上が75%であるということ知らなければなりません。
あと10年後、20年後には食を支えてくれる人たちがいなくなっていまします。

将来自分たちが困るからという理由だけではなく、いままで支えてくれたことへの気持ちをこめて、お互いさまの精神をもって、東北の農を支えていかなければならないと思いました。

結城さんからは、もうひとつ広島の例が紹介されました。
(わたしは、このことを全く知りませんでした)

高宮町(現在は安芸高田市)川根地区は、40年前に江の川の氾濫による大水害に見舞われました。
町へ通じる橋は落ち、流される家もありました。
孤立を経験した川根の人々500人は、川根振興協議会という組織を作りました。

農漁業、福祉、教育にいたるまでこの協議会で話し合い決めてゆきました。
協議会の役員は全員が住民の、行政から独立した完全な自治組織です。
運営費として、会費500円が徴収されたそうです。

地区の復興のために智恵を出し合い、柚を特産品として拡めることにしました。
今では、この柚関連の仕事に21名の方が従事しておられるそうです。
行政に対し提案し、行政は手伝ってくれるというスタンスで動いていきます。

スーパー、ガソリンスタンド、まで住民が経営するようになりました。
住民全員が1000円を出資し共同経営者となります。
また、地区内の交通として“みんなのタクシー”があります。
運転手は自給1000円で、利用者は地区内100円だそうです。

もっと凄いと思ったのは、この地区内では家を建てて移住してくる人を迎えます。
“お好み住宅”というのだそうですが、間取りは希望がかなえてもらえ、20年間は賃貸でその後は格安で払い下げてもらえるのだそうです。
(ちなみに家賃は30000円、安いです)

なんでもかんでも、自分たちでやっていきます。
地方自治のあるべき姿のような気がします。

川根地区の高齢化率は、2000年に底をうってその後回復しているそうです。
小学校の生徒は、移住してこられたお家の子供たちが半分です。

ここまでくるのには、様々な苦労があったと思います。

結城さんは、シンポジウムのまとめとして柳田国男の言葉を紹介されていました。

美しい村など 初めからあったわけではない

美しく暮そうとという村人がいて 美しい村になるのである

わたしは、この美しい村人になろうと思いました。
(川根に移住するとかではないですよ)
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